校舎の応急処置については次の記録がある。
校舎の応急処置
バラック校舎 震災で校舎も学区も灰燼に帰した学校の再建は、学区の費用では不可能であるため、とりあえず市費による仮校舎の無償交付が行われた。
一一月二七日、新築仮校舎第一期工事落成、一・二・三学年のみを収容、桜川尋常小学校の児童の一部も神明小敷地内の仮校舎に収容されていたらしい。続いて翌年三月二四日、増築の七教室、四月二三日には四教室の落成で一七教室となるこの仮校舎は平屋で、校庭は砂利敷、周りの囲いは有刺鉄線であったという。(神明小学校『神明』六〇周年記念誌)
[図10]南桜小学校仮校舎(港区立みなと図書館所蔵)
[図11]迷児の収容(『赤坂区史』)
震災後の騒然とした東京においては罹災者たちの救護が第一であった。その状況の中で仮校舎の建設や応急修理等の工事は極めて困難なことであった。しかし、多くの関係者の熱意や全国各地からの応援物資などの協力によって、予想を上まわる早さで校舎の応急修理がほどこされ、授業再開が確保されていったのである。
関連資料:【文書】教職員 関東大震災に関する桜川小学校の記録