市立小学校復興建設事業

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 関東大震災は、誰も予期せぬ突然の大災害であった。震災直後の混乱が落ち着くと共に、学校教育は、単に元どおりに復旧するにとどまらず、未来を見通しての教育復興をめざす必要があった。そのために、災害の現状を把握すると共に、教育関係事業の復興計画を立てることになった。更に、裏付けとなる教育予算の獲得が必須の要件であった。
 まず、大正13年度(1924年度)より5カ年間の教育復興事業が国庫補助を受け予算総額3861万円で発足した[注釈8]。東京市直営小学校8校と区営の109校が対象の中心であった。いずれも焼失校である。
 復興条件としては
 ・建設校数並びに設置位置は、止むを得ない場合以外変更しない。
 ・1校当たりの学級数は24学級を標準とするが、16学級以上32学級以内とする。
 ・1学級の収容児童数は約50人とする。
 ・鉄筋コンクリート建てとする。
 ・建築面積は、1100坪程度とする。
 ・付帯施設としてガス・水道・電燈・衛生等の施設完備を期す。
 などが示された(『東京市教育復興誌』)。
 次いで東京市は大正14年6月、市立小学校長12名を調査委員に挙げ「本市小学校復興建設に関する調査」を委嘱し、調査案を作成した。これを各小学校に配布し、小学校復興の参考資料とした。
関連資料:【くらしと教育編】第5章第2節 (2)復興小学校の建築と教育