鉄筋校舎落成 大正一五年三月一八日神明町二五番地の仮校舎移転に着手する。四月六日、全学年を二部教授にして同所に収容する。この校舎移転は、本校舎新築のため校地を空けるために行われたものと思われる。このあたりは罹災者のバラック住宅が並んでおり、区画整理には大変手間がかかったと建設関係書に書かれている。四月二三日、本校校舎地鎮祭施行。一二月二三日、上棟式を挙行、その二日後に大正時代は終わる。
[図16]完成した神明小学校の鉄筋校舎(神明小学校『神明』60周年記念誌)
[図17]鉄筋校舎平面図(神明小学校『神明』60周年記念誌)
神明小学校が罹災(りさい)してから、鉄筋校舎で授業再開まで、3年8カ月余りである。大震災後の復興としては短期間でしかも、鉄筋の近代的校舎による復興であった。
鉄筋校舎が完成した神明小学校の児童はもとより、教職員、保護者、地域住民にとっても、大きな喜びであったに違いない。これは、神明小学校と同様に鉄筋建ての近代的校舎を完成させた学校の共通点であった。
桜川小学校も昭和2年に鉄筋3階建校舎が竣工した[図18]。11月に新校舎に移転し11月19日に授業を再開した。更に、昭和3年3月には作法室も完成している。完成時の児童数は1137名であった。
桜川小学校、芝小学校には、特別教室やスチーム等も設置されていた。地域内に新築された鉄筋校舎のすべてが、当時の小学校建築の最先端を示すものであった。
[図18]桜川小学校の鉄筋校舎(『桜川百年』)
関連資料:【文書】教育行政 神明尋常小学校新築
関連資料:【文書】教育行政 桜川尋常小学校新築
関連資料:【図表および統計資料】教育行政 区立小学校増改築等の状況
関連資料:【学校教育関連施設】