麻布区の小学校は幸い焼失をまぬかれた。しかし筓(こうがい)小学校は木造校舎であったため、大地震のためにすっかり傷み、その一部を改築した。当時の磯平三訓導(くんどう)はつぎのように述べている。
大正一四年一一月、一部鉄筋校舎が建った。これは東京市でも早い方でした。
今の公園側に、南北に長く、地下一階、地上二階、南側に、かぎの手に屋内体操場、職員室、特別教室二、ボイラー室普通教室があった。
新校舎はスチーム暖房、旧校舎はストーブ。私が着任した頃は、火鉢でまわりを箱形にして弁当をあたためた。(『かうがい』第3号)
また、『筓』(開校七〇周年記念誌)には、校舎の増改築工事中の学校の状況や完成後の状況について述べているが概要は次のとおりである。
大正13年(1924)秋、第1次校舎増改築工事のため、木造校舎の一部の取りこわしが行われた。そして、同年12月26日に鉄筋2階建(西側)校舎と屋内体操場建築が起工され、1年後の14年12月15日に落成した。
この工事の間は、2部授業を実施したり、終業式や始業式また運動会も麻布中学校を借りて行うという不便さだった。
しかし、落成した鉄筋の新校舎は東京でもまだ数少なく、麻布区では初めてであったという。また、この校舎増改築により、大正の初めから、しばしば実施しなければならなかった2部授業の苦しみから、職員も児童もようやく解放されたのである。
その喜びの大きかったことは、保護者会がお祝いとしてわざわざドイツヘ発注して造らせたピアノを寄贈したということからも想像できる。
麻布区においてもこのように小学校建築は鉄筋化へ方向づけられた。南山小学校の鉄筋化工事は大正15年2月に始められ、昭和2年(1927)7月に落成した。
関連資料:【文書】教育行政 笄尋常小学校増築
関連資料:【図表および統計資料】教育行政 区立小学校増改築等の状況
関連資料:【学校教育関連施設】