明治41年(1908)から大正15年(1926)までの約20年間に学校規模の拡大につれて教師数は倍増している。しかし男女教師の割合は大きく変らず、女教師は約3分の1の割合を保っている。ただ、大正初期から中期にかけて全体の約5分の1近くまで減少した時もあった[図3]。
[図3]赤坂尋常小学校女子教員の割合(『赤坂尋常小学校学校要覧』)
これをもって地域内全体の傾向を即断することは出来ないが、例えば大正3年度の氷川小学校の職員写真をみると男教師10人、女教師5人で、女教師は3分の1である[図4]。また、神明小学校の大正12年の学校要覧では教員29名のうち女教師は8名であり、約3分の1に近い。
以上のことから、大正期において、港区地域では女教師の数は増加してきたが、女教師の占める割合はほとんど変らない状況だった。都心にある港区地域の小学校も男教師中心の教員構成であったと言える[注釈4]。
[図4]氷川小学校の教職員(『記念誌氷川』70周年記念)