欧米教育視察

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 東京市教員の海外学事視察としては、大正7年東京市教育会が市内7小学校長を選び米国に派遣したのが最初である[注釈14]。市の教育課長が団長となった。
 海外視察は、その後も続けられ、大正13年には赤坂小学校長宮内与三郎が9月25日に横浜を出発し、初めに欧州を視察し、次に大西洋を経てアメリカを視察して翌年の4月3日に帰国した。9月から翌年4月初めまで半年間、東京市から海外学事視察のため欧米に派遣された。その時の詳細な状況は、自著『明治大正昭和回想八十六年』に述べられている[図5]。
 

[図5]欧米視察から帰国した宮内与三郎校長(宮内与三郎著『明治大正昭和回想八十六年』)

 視察後の感想として欧米と日本を比較し簡潔にまとめている。すなわち、道徳性の指導について欧米では宗教教育があること、また道徳指導は学校・家庭・教会の連携で行い、家庭のしつけも厳しい。また入学試験準備の激化していた日本と比べ、入学準備教育がないこと、1学級の児童数が少ないこと、児童理解に基づく能力別指導の徹底などにも共感している。更に日本に欧米教育の花形として紹介されていたドルトンプランが、すでにアメリカでは行われていないことなども述べられている。
 大正期に長期間をかけて校長の海外視察が実施されたことは当時の教育充実に向けて大きな役割を果たしたものであったと言えよう。
 また、港区地域の小学校長の参加により、その成果は、自校はもとより地域内各小学校にも及んだものと思われる。