大正期諸学校の改善充実は臨時教育会議の答申が基になって行われている。中学校の改善については大正7年(1918)2月の「高等普通教育ニ関スル件ノ答申」に示されている。その内容は主に中学校の教育目的・内容・方法がある。また高等女学校の改善については大正7年10月24日の「女子教育ニ関スル件ノ答申」に示されており、中学校同様、高等女学校の教育目的・内容・方法・教授科目などについて述べられているが、特に高等女学校における実業教育の奨励についても強調されている。これらの答申を受け「中学校令」が改正され(大正8年2月7日)、同令施行規則が制定(大正8年3月29日)されている。「中学校令」では学校の設置の主体を市町村、学校組合にまで拡大し[注釈1]、更に教育目的に国民道徳の養成を加えている。
「高等女学校令」の改正は大正9年7月6日に行われ内容は中学校に準じたものになっている。中学校・高等女学校の教育内容の改善については「中学校令施行規則」を大正8年3月29日に改正、国民道徳の養成は何れの学科においても常に留意して教授すること、物理・化学には必ず実験を課すること、実業については「手工」を「工業」に改めることなどを規定している。「高等女学校令施行規則」は大正9年7月21日に改正されている。内容は概ね中学校に準ずる。大正14年4月4日には再度「中学校令施行規則」が改正され、体操の時間数の増加を規定している。また大正後期には入学者選抜方法の改善も行われている。大正期にはこうした教育制度が改善整備され、全国で大正後期の中学校数が前期に比べ1・57倍、生徒数で2・14倍と拡大されている。高等女学校も大正期後半の増加がきわめて顕著である。