大正期以前から本地域にあり、大正期に昇格または改善された学校は慶応義塾大学と、東京慈恵会医科大学ならびに明治学院高等学部などである。これら大学・専門学校の概況は次のとおりである。
慶応義塾大学は、明治期に大学部を設け、理財・法律・文学・政治の諸学科を設置していたが、大正6年(1917)にさらに医学部を新設した。また大正7年12月制定の「大学令」により私立大学が認められ、同学も「大学令」による大学に昇格した。そして大正9年4月新規に文学、経済、法律、医学の4学部並びに予科、大学院を設置した。
東京慈恵会医科大学は、明治期に発足し、校名、内容などもたびたび改められてきたが、明治41年(1908)5月、慈恵会を創設するにあたり医学専門学校を設立し、東京慈恵会医学専門学校と称した。そして大正10年(1921)10月19日「大学令」に拠る財団法人東京慈恵会医科大学が設立された[注釈2]。この新しい大学の構成は、学部4年・予科2年・研究科1年で、大正11年2月には附属病院も開院している。
明治学院は、明治20年(1887)9月、現在の白金台に移ってきたが、大正6年(1917)7月、英語師範(しはん)科・文芸科・商業科の3科が設けられ、大正15年4月、英語師範科と文芸科を合併し英文科にしている。
青山師範学校は、明治33年(1900)に青山北町5丁目に新築された校舎へ小石川区竹早町より移転してきて以来、大正期も引き続き府師範教育の重要な一翼をになってきた[注釈3]。
また、陸軍大学校は、明治24年に青山北町1丁目に移転し、大正期も引き続き現在地に位置した。
関連資料:【文書】私立・諸学校 慶応義塾
関連資料:【文書】私立・諸学校 東京府青山師範学校
関連資料:【文書】私立・諸学校 東京慈恵会医科大学
関連資料:【学校教育関連施設】