中等諸学校

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 大正期、中等学校では中学校1校、女学校5校(府立1、私立4)、実業学校1校(私立1)並びに実業補習学校6校が新設されている。第1次世界大戦後の好況や市民の教育への関心並びに学校制度の改善の成果と見ることができる。次にこれら新設の中等諸学校について概況を述べてみたいと思う。
 
■中学校
 
●麻布中等夜学校
 本村町40番地、麻布中学校内に併設された。本校は昼間通学不可能な子弟や、正規の教育を受けることのできない子弟を対象に昼間の中学校と同等の学科を履修させることを目的に設立された。開校当時は修業年限は4年であったが、昭和初期には麻布夜間中学と改称され、5年制に改正された。
 
■高等女学校
 大正期に新設された高等女学校は府立第六高等女学校と私立三田高等女学校、私立順心高等女学校の3校である[注釈5]。また、高等女学校に準ずる修業年限2年の私立三田博和女学校、私立順心女学校の2校も新設された。
 大正期は一般にこのように女学校の量的な伸びの顕著な時期で、全国的にみて大正元年から15年までの間の女学校数の増加は中学校の3倍で生徒数で約5倍といわれている。これは第1次世界大戦後の好況による産業界の飛躍的な発展が女性の社会進出をうながし教育界に活気をもたらしたことはもちろん、大正デモクラシーの新思潮が反映し、女性の意識が高まったことも大きな要因と考えられる。
 
●府立第六高等女学校
 大正12年1月赤羽町1番地に設立、同年4月開校している。開設当時は麻布の第三高等女学校の施設を借りて授業を開始した。その後大正13年9月校舎の一部が完成し現在地に移転したが、校舎が完成しなかったため2部授業を実施した。大正15年9月校舎が全部完成し2部授業を廃した。当校は本科と補習科が設けられ、修業年限は本科は5年、補習科は1年であった。同校の大正期は施設の整備に追われていた感が強い。
 
●三田高等女学校
 三田四国町2番地の戸板裁縫学校に附属して、大正5年4月創立された。本校は4年制の普通教育の女学校であったが、裁縫学校に附属して創立されており、裁縫などの家政科のレベルが高く、それをもとめて入学を志望する者が多かったようである。大正10年には他校に先がけ洋式の制服を採用している[注釈6][注釈7]。
 
●順心高等女学校(広尾町79)
 大正13年4月、順心女学校内に設立された。これは大正12年の関東大震災により府下の女学校の大半が焼失したことから、女子教育上ゆるがせにできないとして、財団法人、大日本婦人共愛会が設立にのり出したといわれる。修業年限は5カ年の普通教育を行う高等女学校である。順心高等女学校の順調な発展と、時代の要請により順心女学校は昭和4年(1929)に夜間女学校として再発足している。
 
●三田博和女学校(三田四国町2)
 大正12年(1923)3月、戸板裁縫学校に設立された夜間普通課程の女学校である。戸板裁縫学校には明治45年(1912)から夜間科(速成科と随意科)が設けられていたが、この夜間科の組織を拡大したものが当校である。昼間仕事をもつ子女のための学校で毎日夜5時30分から8時30分までの授業で修業年限2年である。特別の行事もなく、向学心をもって学習する者が多かったという。
 
●順心女学校(広尾町79)
大正7年(1918)5月設立した[注釈8]。設立当時は本科(修業年限2年)、補習科(修業年限1年)ならびに簡易科(修業年限6カ月)の2科が設置されていた。入学資格は「学業に志あるも恵まれない環境の故に、希望の達成がはばまれている女子」とし、入学の許可を受けた者はすべて無月謝、学用品給与などの特典も与えられたため、遠隔地からも応募する者が多かったようである。当校の特色は、技芸部の材料を学校から与え、製作品は学校で買い上げるとか、園芸部を設け、自然観察のほか、同情と趣味を喚起し、勤労の徳を養うなど、こうした特色を生かした教育が進められた。また当校の経費はすべて大日本婦人慈善会の会費、寄付金をもって当てられた。
 
■実業学校
 大正期に新設した実業学校は市立麻布商工実務学校と、私立高輪商業学校の2校で大正7年から11年にかけて、実業補習学校が区域小学校に併設されたことは既に前節で述べたとおりである。いずれも夜間を利用し、実務上の技能知識を授けることを目的としているが、昭和10年(1935)に青年学校となってその性格を変えた。
 
関連資料:【文書】私立・諸学校 私立三田高等女学校
関連資料:【文書】私立・諸学校 私立三田高等女学校名称変更
関連資料:【文書】私立・諸学校 私立順心女学校
関連資料:【文書】中学校教育 市立麻布商工実務学校