通俗教育とは、学校教育以外の一般庶民を対象とする啓蒙(けいもう)的、教化的な教育活動のことで、こうした教育活動は明治のはじめから何らかの形で行われてきているが、制度的にも行政的にも一段と整備されたのは大正期である。
通俗教育制度改善の大きなきっかけとなった要因の一つには通俗教育調査委員会の活動がある。この委員会は明治44年(1911)に通俗教育分野の諸施設(通俗図書館などの観覧施設、幻灯・活動写真などの娯楽施設、読物・書籍など)の調査と振興策審議を目的としてつくられた。大正2年(1913)6月廃止まで通俗教育政策樹立のため活動した。「通俗図書館認定規定ならびに幻灯及活動写真フィルムの認定規定」の制定もその成果の一つである。他の一つの要因は、大正7年臨時教育会議の「通俗教育に関する答申」である。これは、第1次世界大戦後急速に悪化した国民の思想を正し、我が国の伝統的な醇風(じゅんぷう)美俗を維持することをねらいとして出されたもので、答申に示された改善事項は11項である。
答申の第1項から第4項までは通俗教育に関する調査会を設けることや文部省や地方に通俗教育の主任官をおくこと、また通俗教育の担当者を養成する施設を設けることなど通俗教育に関する行政を学校教育行政と切り離して進めるべきであることを提案している。また第5項から第11項までは大正当時通俗教育の範ちゅうと考えられている読物、図書館、博物館、講演会、幻灯、活動写真その他の興行物、音楽並びに劇場、寄席などの改善方針を示している。この答申は国民の教養を高めるために、学校教育と同様に社会全般の教育も必要であり、社会全般の教育の再編成や整備が急務であることを強調している。この答申を貫いている基本的な考えは、内容に対する統制であるが、答申理由書によれば、単に統制するだけでなく、むしろ積極的に普及発達を図るべきであることを強調していることが特徴である。
この答申が出されて以来、通俗教育の制度、体制が着々と整備された。例えば大正8年文部省普通学務局内に通俗教育担当の課が設けられ、専任の事務官が置かれた[注釈1]。