社会教育の振興策

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 大正10年6月、これまで文部省普通学務局所掌の通俗教育が「社会教育」と改称された。これは社会文化の向上と社会生活の複雑化にともない、教養訓練が一層必要になってきたためで、社会の状態を健全ならしめるという意味を込めて「社会教育」の名称が採用されたといわれる。
 こうして再出発した社会教育は、大正13年文部省普通学務局に新設された社会教育課が担当することになった。社会教育課の分掌業務は、図書館、博物館、青少年団、処女会(女子青年団の前身)、成人教育に関すること、障害児教育、民衆娯楽の改善に関すること、通俗図書認定に関することなどであった。また大正14年12月には、「社会教育職員制」を定め、地方行政機構にも社会教育主任官を配置することになった。
 社会教育についての行政機構や諸制度はこのように拡大し、やがて昭和初期になって文部省に社会教育局が設けられ、ますます充実発展することとなった[注釈2]。