青年会の夜学ではじまった勤労青年の学習活動も、青年団の結成となり、やがて実業補習学校の創設とともに、それが青年団の教養機関となった。当時の青年団員は実業補習学校への就学を申し合わせ、あたかもそれが就学義務であるかのような風潮をつくったといわれている。また大正15年には青年訓練所が設置され、これも青年団員の修養、訓練の機関となった。しかしこのことは、一面から考えると青年団の学習活動が国家統制を受けたことになり青年団本来の性格が大きく変わり、青年団も実業補習学校や、青年訓練所同様体制的教育機関の性格をもってきたことになる。
実業補習学校については、既に第5節「産業教育の発展」でとりあげたので、次に青年訓練所をとりあげてみたいと思う。