大正時代の女子青年団は、いわば萌芽期で、処女会などという名称の団体でそれぞれ独自の活動をしていたが、大正11年11月11日、内務・文部両大臣の「女子青年団ニ関スル訓令」並びに文部次官及び社会局長官の「女子青年団ニ関スル件依命通牒」により女子青年団の結成が促され、昭和2年(1927)末から昭和3年にかけて一斉に設立されることになった。そして、昭和3年2月には区女子青年団が結成され、翌3月「東京市聯合女子青年団」が成立し、本区地域の女子青年団もそれに加盟した。
女子青年団は、もっぱら知徳修養、技芸講習、健康増進に関する講演会、講習会ならびに社会奉仕活動などであった。女子青年団の本格的な活動は男子青年団より遅れて昭和初期からとなっている。女子青年団は発足は遅れたが、その後の伸展は急速着実であった[注釈9]。