この地域の大正期唯一の美術館は、財団法人大倉集古館である。大倉集古館は、大正6年8月、赤坂区葵町3番地に設立された。この集古館は、大倉喜八郎氏の特志(とくし)寄附により開始したので、敷地、建物はもちろん、陳列品から維持資金までが大倉氏の寄附であった。設立当時は、敷地4824坪余り、建物は1063坪余りで、建物の内部は1、2、3号館、朝鮮館、附属建物から成っている。本館の陳列品は美術品3692点、書籍1万5600冊となっている。これらの陳列品の中には、東洋諸国の仏教式彫像、日本の蒔絵製品、中国の堆朱器、石仏、古銅器など世界の一流品が多く所蔵されていた。また、太閤秀吉の桃山御殿の一部や徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院尼の霊廟の一部を移し公開したといわれる。
この集古館も大正12年の関東大震災のため各館、陳列品共に多数焼失したが、かろうじて焼け残ったものや搬出し難を免れた美術品を基に再建することになり、大正15年3月着工、昭和2年(1927)8月工事は竣工した。新集古館は、本館が252坪37坪余り六角堂その他で37坪余り、美術品中国宝に指定されたもの3点、重要美術品に指定されたものが30点に達した[注釈12]。
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