「疎開」の記録を読み解きつづける

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 当時の文部省や東京都、そして一部の学者は疎開による集団生活を人間形成の場と位置づけ、そこに教育的な価値を見いだそうとした。たしかに疎開先での異なる生活や知らない人々、豊かな自然に触れることで都会では得がたい体験をした子どももいた。中には、その姿をとらえて写真集にまとめた教師もいた(桜田小学校)。
 しかし、現在の私たちが認識すべき点は、「疎開」とはあくまで軍事態勢の温存のために実施された大人都合の措置であり、生命や財産の維持を第一に考える「避難」とは異なる思想に立脚した措置であることである。子どもたちの疎開体験は、大人たちの誤った判断の積み重ねが招いた「戦況深刻化」の産物である。もとより別の安全かつ安心な機会によって代替できる経験であったはずだ。
 子どもたちは、大人の都合、建前や判断、生活する土地や環境、さらにはどうしようもない運不運によって容易に生活が翻弄(ほんろう)され、学びと遊びから引き剥(は)がされてしまう。今なお、世界のいずれかには当時の港区児童と同じような境遇におかれた子どもたちがいる。また、私たちの身近で、戦災ではないが、自然災害に端を発した惨禍によって、住んでいる土地から強制的に引き剥がされ、生活が翻弄させられた子どもたちもいたという事実は重く受け止める必要があろう。私たちは疎開の記録と記憶を「異様な状況での出来事」、「遠い過去の出来事」として忘れ去ってはならないのではないか。

(池田雅則・兵庫県立大学教授)