昭和初期は、経済的な不況がはじまっており、学校を卒業しても就職難で失業者があふれていた。農村恐慌もひどく、小作争議があいつぎ、都市では労働争議が頻発していた。このような中で、思想は混乱し、特別高等警察による左翼思想家への弾圧は強められていった。
一方、軍部の政治への介入も次第に強まり、「日本の生命線満蒙(まんもう)」のスローガンのもとに、満州事変を起こすにいたった。満州事変は、昭和6年(1931)9月18日に勃発(ぼっぱつ)したが、満州を制圧し、翌7年3月1日に新しい満州国が成立した。
その後も、昭和7年の上海事変、「五・一五事件」、昭和11年の「二・二六事件」などを経て、日中戦争へと戦争の歩みを進めていったのである。日中戦争は、昭和12年7月7日に勃発したが、最初の短期戦、局地戦の方針とは逆に、戦線は次第に拡大していった。
二・二六事件で、赤坂の料亭・幸楽は反乱軍に占拠されたため、山王一帯は騒然となっていた。赤坂小学校は登校停止で授業を2~3日しなかった。赤坂小学校の周辺の人の中には、荷物を持って避難する人もあった。赤坂表町における高橋是清蔵相邸襲撃は、区民に衝撃を与えた。その旧邸は高橋是清翁記念公園となって保存公開されている。