日常生活物資不足と統制[図2]

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 戦争の長期化にともない、日常生活に必要な物資も不足してきた。昭和13年ごろから、綿製品の不足がめだってきた。
 昭和14年9月18日、「価格統制令」が出て、この日の値段で一切の物価が抑えられ、配給統制の時代になってきた。
 昭和14年12月には、木炭の配給制がはじまり昭和15年には、米や麦などの主食が配給制、マッチ1日5本、砂糖は月1人半斤(300グラム)となった。また、贅沢(ぜいたく)禁止令も出て、区民の食生活は著しく圧迫されてきた。魚は1人10匁(もんめ)(37・5グラム)味噌は月1人183匁(約686グラム)、野菜はカボチャで1週間に1人50匁(187・5グラム)といったふうであった。
 さらに、ガソリン統制で、バス、タクシーも木炭車になり、後ろから煙を出して走るようになった。

[図2] 衣料切符・昭和19~20年(『新修港区史』)