昭和初期の小学校教育には、大正デモクラシーの思潮を背景にした児童中心の教育思潮の流れを受けた教育実践が多くみられた。
教育内容では、第3期国定教科書(大正8年~昭和7年)が使われ、国語教科書でいえば、「ハナ、ハト」読本の時期である。修身では、公民的、社会的な教材が取り上げられ、世界の様子と国際協調性も尊重されていた。国史では、建国の精神や国体の意義の観点が重視されていた。
その後、戦争への歩みを進める中で、第4期国定教科書(昭和8年~15年)の改訂を迎えた。この期の特徴は「サクラ読本」と呼ばれているように、軍事教材がふえてきたことである。修身においても、忠君愛国、臣民の道が重視され、国家主義思想が強められている。国史では、国体明徴、肇国(ちょうこく)の精神、神国観念などが強調され、よき臣民の育成がねらわれていた。
一方、学習活動では、観察や表現活動・綴方(つづりかた)教育が重視され、自然の観察、文集づくりが盛んであった。例えば、三光尋常(さんこうじんじょう)小学校卒業生による、物語文『四之橋』のような文集も残されている。
更に、蚕(かいこ)の飼育記録もあり、当時の学校生活の様子を知ることができ、また、本村尋常小学校などには絹にして献上した記録が残されている。教育方法では、映画教育も盛んになり、赤羽尋常小学校やその他の学校の実践記録がみられる。更に、郷土を知り、郷土愛を培養する『郷土教育の実践記録』が芝区教育研究会地理部から発行され、各校の参考に供された。
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