大震災において、木造建物は火災に弱いこと、煉瓦(れんが)造りや石造りが地震に弱いことが痛感された。そして鉄筋コンクリート構造の建物が火災、地震に強いという体験から、焼失した9校に対して東京市は「東京市帝都復興事業」による国庫補助によって、焼失校の復旧を進めていった。その後、大震災の教訓を生かして、校舎は鉄筋コンクリート構造にされていった。
大震災の被災校の、鉄筋コンクリート校舎の竣工(しゅんこう)日は次のようである。
鞆絵尋常(ともえじんじょう)小学校 大正13年11月24日
神明尋常小学校 昭和2年3月31日[注釈4]
桜川尋常小学校 昭和2年10月31日[注釈5]
南桜尋常小学校 昭和3年2月29日[注釈6]
愛宕尋常小学校 昭和3年3月20日[注釈7]
竹芝尋常小学校 昭和3年11月20日
愛宕高等小学校 昭和3年12月10日
西桜尋常小学校 昭和4年10月31日
桜田尋常小学校 昭和4年11月10日[注釈8]
以後震災被災校以外の学校も、鉄筋コンクリート化されていくようになった。それらの学校の沿革誌に記録されている校舎鉄筋化は、次のようである。
昭和2年度 青山尋常小学校[注釈9]、白金尋常小学校[注釈10]、南山尋常小学校
昭和5年度 氷川尋常小学校
昭和6年度 麻布高等小学校
昭和8年度 麻布尋常小学校
昭和10年度 高輪台尋常小学校
昭和11年度 筓(こうがい)尋常小学校[注釈11]、青南尋常小学校
昭和13年度 三光(さんこう)尋常小学校[注釈12]
関連資料:【文書】教育行政 鞆絵尋常小学校改築
関連資料:【文書】教育行政 桜川尋常小学校新築
関連資料:【文書】教育行政 南桜尋常小学校復興建設
関連資料:【文書】教育行政 愛宕尋常小学校復興建設
関連資料:【文書】教育行政 三光尋常小学校改築
関連資料:【文書】教育行政 笄尋常小学校改築
関連資料:【学校教育関連施設】
関連資料:【くらしと教育編】第5章第1節 (2)大正~昭和戦後初期