昭和8年、麻布区南山尋常小学校に我が国最初の弱視学級が開設された[注釈16]。
弱視児童は、一般児童と盲児童との中間的存在で学齢期になると、通常の学級や盲学級に入学させられていた。通常の学級に入学した弱視児童は、黒板の文字が見えず、十分な教育はできなかった。
身体虚弱児童に対する教育は、夏季施設等特別の施設で行ってきたが、大正15年(1926)、小学校に「養護学級」を設けて、その教育を行うようになった。港区地域においても、昭和前期に本村尋常小学校、神応(しんのう)尋常小学校、氷川尋常小学校などに養護学級が設置されている。
氷川尋常小学校の養護学級の指導方針は次のようであった。
1 自然に親しませること
2 栄養、疾病予防其他生活の調整に留意すること
3 心身の過労を避け、愉快に学ばせること
4 個人の身体状況及び個性に即して指導すること
5 保健に必要なる良習慣を養うこと
関連資料:【文書】特別支援教育 芝区の身体虚弱児の指導
関連資料:【文書】特別支援教育 南山小学校の弱視学級
関連資料:【学校教育関連施設】