青年学校の誕生

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 青年学校は、昭和10年4月1日、「青年学校令」によって、実業補習学校と青年訓練所を統合して設立されたものである。
 「青年学校令」第1条には「青年学校ハ男女青年ニ対シ其ノ心身ヲ鍛錬シ徳性ヲ涵養(カンヨウ)スルト共ニ職業及実際生活ニ須要ナル知識技能ヲ授ケ以テ国民タルノ資質ヲ向上セシムルヲ目的トス」として、青年学校の目的が示されている。第4条には、「私人ハ青年学校ヲ設置スルコトヲ得」とあり、私立の青年学校が続々と設置されてくる。
 昭和14年には、青年学校の義務制が実施されたが、これは、昭和13年に出した教育審議会の「青年学校教育義務制に関する答申」によってである。それによると、次のことがらが述べられている。
 
 (ア) 国体の本義にもとづき、青年の心身を鍛錬する必要があること。
 (イ) 産業の振興、地方の開発に寄与させる必要があること。
 (ウ) 国防の根底をつくり上げる必要があること。
 
 このようにして、青年を産業の発展と国防のために、効果的に動員するために青年学校を義務制にしたのであった。当時、日本の全青年層のうち約80パーセントは勤労青年によってしめられていると推定されていた。昭和15年には、公立青年学校の数は1万6613校、私立は2275校という数になり、生徒の数も、男女合計で、296万人余(男子が208万8000余名、女子が87万3000余名)という数になっている。