昭和4年(1929)、文部省は「社会教育局」を新設して、独自の活動を始めるようになった。
この時期の社会教育は、「国民精神の作興、国力充実」をめざすものであった。そして、青少年団体、青年訓練所、実業補習学校などの勤労青少年を対象にした活動が強められていった[注釈29]。
また、社会教育局は図書館、博物館に関すること、成人教育に関すること、社会教化団体に関すること、図書に関することなどを処理していった。
昭和5年には、「家庭教育振興ニ関スル件」を文部省が訓令として発令している。
昭和12年、「国民精神総動員に関する訓令」。
昭和14年、「国民精神総動員法」公布。
昭和14年、青年学校の義務制によって、働く青少年を対象とする国策の教育は徹底して行われるようになった。そして、壮丁(そうてい)検査前の軍事教練によって、心身が鍛錬された。
昭和15年ごろからは、部落会、町内会、隣組などの隣保組織に着目し、その指導にのり出してくるようになった。たとえば、成人講座、公民講座、家庭講座、母親学級などが奨励強化されている。
昭和17年には、文部省から「戦時家庭教育指導要綱」が出されている。そして婦人会、連合婦人会、国防婦人会と、組織的な活動が行われ、国民強化体制の姿勢が目立ってくる。