青少年団の様子[図14]

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 昭和16年以降国民学校時代に入ると、青少年団の活動も一層強まり、軍隊生活の模倣のような訓練を受けるようになった。たとえば、手旗信号、モールス符号、分列行進などである。
 また、学校生活においても、行事や儀式も錬成(れんせい)の場となり、校外の少年団に発展していった。毎朝の宮城(きゅうじょう)遥拝、神社参拝、かけ足訓練、勤労作業などが重視されていた。
 次は、少年団だよりの一部である。(『さくらだ』昭和18年)
 
  少年団だより
 大東亜戦争第三年目の昭和十八年に入っていよいよ決戦段階に入り、国内態勢の整備強化と相俟(マ)って、学校少年団の立場も益々重大さを倍加したのである。校外における児童生活の統一訓練、学校、家庭、社会の一体化をめざしての少年団の仕事は大きく要求される。
  次に九月までにおける行事を掲げる。
 1 班常会 (毎月一回)
 2 班長訓練(五月一日~五月二〇日)
 3 野外訓練 (五月七日)
 4 塩原夏季錬成道場(七月二一日~八月二日)
 5 音楽訓練 (週一回)
 6 清掃訓練 (毎日)
 7 登下校訓練(毎日)

[図14] 南海少年団発団式

 青年団や女子青年団も、区や各小学校を単位に結成され、各種の行事や訓練活動が行われた。芝区青年団の目標をみると「区内居住ノ青年ヲ糾合シ其知徳ノ修養、身体ノ鍛練ヲ図ル」とある。女子青年団の目標にも、「忠孝ノ本義ヲ体シ婦徳ノ涵養(カンヨウ)ニ努ムルコト」があげられている。昭和16年には、少年団、青年団、女子青年団が統合されて、大日本青少年団が結成されてくる。