戦災と学校防空

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 昭和17年(1942)4月米陸軍機による日本本土初空襲が行われた。翌18年7月、東京府は東京都制が実施され、東京都となった。このことにより、防空防衛の訓練が盛んに行われた様子である。
 
   学校防空(『さくらだ』昭和18年12月)
  既に御承知の如く、敵襲必至に備へて「学校防空指針」が去月一一日文部省から明かにされました。左に直接児童に関係する事について列記致しましたが是非御協力ください。
 一 普段から防空服装の用意をすること
 二 被服には、住所、氏名、学校名、保護者名を明記し置くこと
 三 警戒警報発令と同時に授業を中止、帰宅させること
 四 登下校の途中で発令の場合も前項と同様、直ちに帰宅
 五 登下校の途中突然空襲の発令の時は電車通学の児童は家庭と学校といづれか近い方へ行くこと 以下略
  以上の諸点につき各家庭に於て充分御協力願ふと同時に通学路の研究万一の場合どうするか、学校側でも充分訓練致しますが子供は他所の子供であっても自分の子供と同様に取扱はれるよう御願い申し上げます。