「戦時教育令」と学校教育

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 太平洋戦争は、昭和20年に入ると、ますます戦況が悪化し、日本本土への空襲が激化してきた。このため政府は、まず「決戦教育措置要項」を閣議決定し、ついで、「戦時教育令」を公布している。
 「決戦教育措置要綱」(昭和20年3月18日 閣議決定)には方針として、
 
 「学徒ヲシテ国民防衛ノ一翼トシ真摯(シ)生産ノ中核トスル措置ヲ講ズル」
 
とあり、その実際に関しては
 
 第二 措置
  一 全学徒ヲ食糧増産、軍需生産、防空防衛、重要研究其ノ他直接決戦ニ緊要ナル業務ニ総動員ス
  二 右目的達成ノ為国民学校初等科ヲ除キ学校ニ於ケル授業ハ昭和二〇年四月一日ヨリ昭和二一年三月三
一日ニ至ル期間原則トシテ之ヲ停止ス
 
 国民学校高等科以上の学徒は、すべて動員され、教室での授業は停止されたのである。
 幼稚園は、すでに昭和19年4月頃から「休園措置」によって、休園しており、園舎は軍事目的に使用されているところもあった。
 国民学校初等科の児童についても、5、6年生は勤労作業をさせられることもあり、落ちついた学校生活は送れなくなった。
 
関連資料:【文書】教職員 休止幼稚園職員の取扱