校舎の被害

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 空襲の激化にともなって、学校の校舎の被害も広がっていった。
 昭和20年3月から5月にかけての空襲で、区内の多くの学校は焼失している[注釈32]。
 各校の沿革誌によると
 
 麻布国民学校  3月10日の空襲で校舎に被害
 赤坂国民学校  5月25日の空襲で校舎全焼、重要書類は搬出
 乃木国民学校(のちの檜町(ひのきちょう)小学校) 5月25日の空襲で講堂炎上
 中之町幼稚園  5月の空襲で園舎大破
 飯倉(いいぐら)国民学校  5月の空襲で校舎炎上
 東町国民学校  5月の空襲で全校舎焼失
 芝国民学校   5月の空襲で全校舎焼失、南海国民学校で授業
 青山国民学校  5月の空襲で木造校舎炎上、鉄筋校舎に罹災(りさい)者収容
 御田(みた)国民学校  5月の空襲で校舎全焼
 桜川国民学校  5月の空襲で学区域殆(ほと)んど全焼
 三河台国民学校 5月の空襲で校舎焼失
 
などの記録が残っている。
 このような状況のもと、ポツダム宣言を受け入れ、昭和20年8月15日、終戦の日を迎えたのである[図16]。

[図16] 氷川国民学校より中ノ町を望む(『氷川小学校60周年記念誌』)

関連資料:【文書】教育行政 国民学校の戦災状況
関連資料:【学校教育関連施設】