■映画教育

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 昭和初期、活動写真と呼ばれていたころから、映画を利用した教育が次第に盛んになってきた[注釈5]。映画教育について、赤羽尋常(じんじょう)小学校の実践をみてみると、『我校の映画教育』(東京市芝区赤羽尋常小学校、昭和11年)序の中で
 
  映画が教育に参与する所以(ゆえん)のものは実に
 (一)映画でなければ現出し得ない世界の提供と、その提供せられた世界(対象世界の真相を全く新しい構成によって示現してくれた)に於ける学習効果の飛躍と(二)ともすれば無味乾燥に流れ易く、個々分離の状態に於ての狐立学習に陥り易かった教材を生命化し全一統合化する事の可能と、その結果としての教師児童教材の三位一体が実現され真の生命学習をもたらし得る所にある。映画教育の真諦(てい)は実に此の境地を認識することによって始めて体現されるのである。
 
と述べられている。
 昭和2年度、教室で映写したフィルムは次のとおりである。
 
 1 漂泊ノ少女  二年  修身(孝行)
 2 球磨川ノ急流 五年  地理(九州地方)
 3 国体ノ精華  五年  修身(我ガ国)
 4 植物ノ成長  六年  理科(種子ノ発芽)
 5 天壌無躬   三年  読方(ヤタガラス)
 6 国ヲ挙ゲテ  五年  修身(挙国一致)
 7 二匹の犬   一年  修身(友達)
 8 山内一豊の妻 四年  読方(一豊ノ妻)
 9 鮭ノ養殖   六年  地理(北海道)
 10 蛭ノ孵化   四年  理科(かへる)
 11 兄弟ニ友ニ  二年  修身(仲よく)
 12 夏ノ衛生   四年  修身(身体)
 13 密蜂ト飼育  四年  理科(ハチ)
 14 水虫の活動  五年  理科(水スマシ)
 15 和気清麿   五年  国史(和気清磨)
 16 稲の栽培   五年  理科(稲)
 17 木曽林業   四年  読方(材木)
 18 欧洲文化ノ跡 六年  地理(欧洲)
 19 浦島太郎   二年  読方(浦島太郎)
 20 潮ト月    五年  理科(海)
 21 眼ノ構造   六年  理科(レンズ)
 22 吉野ノ林業  五年  地理(近畿地方)
 23 日光     五年  読方(日光)
 24 児島高徳   五年  国史(後醍醐天皇)
 25 花咲爺    一年  読方(花咲爺)
 26 因幡ノ兎   三年  読方(白ウサギ)
 
 これらは、主として授業の後に映写し、総括整理の立場で使用された。
 次は、映写会後の指導の必要について述べられたものである[図1]。

[図1] 映画教育

  映写会の理想は児童を歓美の中に陶酔させることにあるのだから映画が終れば凡てが終わったわけだが、鑑賞眼の向上は観ただけでは完成されない。又児童はテーマ其の物よりも場面々々の面白さや良さに惹(ひ)かれて観る。つまり場面感激でテーマ感激でない。だから一本の映画の価値評価は多くの場合、其の場面々々の感激量や感激数によって決定され勝ちである。更に大人は道徳判断を正当にするけれども、児童は自分を喜ばせ、自分を感激させる人の行為は凡(す)べて悪ではないと考えたり、甚だしきは学校で先生が選んで見せて下さる映画だから悪い筈(はず)がないと六年生でさえ信じているのだから、映写後の指導が必要になるのである。
 
 氷川尋常小学校においても「映画教育」についての記録がみられる(『氷川学報』 第6号 昭和11年)。映写種目には、「日本人ここにあり」、「航海の話」、「楠公父子」、「台湾地方」、「大忠臣蔵」その他がみられる。
 
 「直観教授」の重視
 言語による抽象的な教授に対して、児童の視覚、聴覚に直接訴えて、具体的に理解させる方法である。この直観教授の重視によって、映画教育も盛んとなったわけである。そして、ラジオ、テレビ、ビデオなどを利用した視聴覚教育へと発展していった。
 
関連資料:【文書】小学校教育 氷川小学校の映画教育
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関連資料:【学校教育関連施設】