「国民学校令」は、昭和12年(1937)に設置された教育審議会の答申(昭和13年)を受けて、昭和16年に公布された。その答申の改革の趣旨は次のようである。
国運未曽有ノ伸張ニ伴ヒ、東亜並ニ世界ニ於ケル我ガ国ノ地位ト使命トハ愈(イヨイヨ)重大ヲ加フルノ秋(トキ)ニ当リ、教学ノ本旨ニ則(ノット)リ、時代ノ要望ニ応ジ、教育ノ内容及制度ヲ全面的ニ刷新センガ為先ヅ国民全体ニ対スル基礎教育ヲ刷新シ其ノ拡充整備を図リ、新学制の根抵ヲ確立スルト共ニ克(ヨ)ク皇国ノ負荷ニ任ズベキ国民ノ基礎的錬成ヲ完(マッタ)カラシムルコトヲ最モ根本ニシテ極メテ緊要ノ国策ナルヲ認ム。依テ茲ニ義務教育ヲ八年トナシ、其ノ内容ニ刷新ヲ加へ、皇国ノ道ノ修練ヲ旨トシテ国民ヲ錬成シ、国民精神ノ昂(コウ)揚、知能ノ啓培、体位ノ向上ヲ図リ、産業並ニ国防ノ根基を培養シ、以テ内ニ国力ヲ培養シ外ニ八紘(コウ)一宇ノ肇国(チョウ)精神ヲ顕現スベキ次代ノ大国民ヲ育成センコトヲ期セリ。
この答申の精神を受け入れた「国民学校令」により、小学校は国民学校となったが、ただ名前が変わっただけのことではなかった。