戦時色の強まり

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 昭和に入ると各校の学校行事も、次第に整えられ、殊に四大節や元旦の祝いの式なども学校教育の大きな柱となってきた。「儀式、学校行事ヲ重ンジ之ヲ教科ト併セ一体トシテ教育ノ実ヲ挙グルニ力(ツト)ムベシ」と諸行事を重視してきた国民学校にも、戦時色が次第に強まってきた。次の主な行事[注釈7]の抜き書きからも、このことがうかがえよう。
 
 南山尋常(じんじょう)小学校 宮城(きゅうじょう)遙拝を毎月1回行う。   (5年2月)
 芝尋常小学校   国旗掲揚式第1回を行う。                 (8年2月)
 白金尋常小学校  毎月1日を興亜記念日とする。               (14年9月)
 麻布国民学校   用紙不足のため、今回をもって校報発行を中止とした。   (16年12月)
          毎月8日を貯金日と定める。                (17年6月)
          敬礼法を実施する。男子は挙手女子は15度の敬礼。     (17年9月)
 桜川国民学校   芝公園テニスコートを借り、学校農園とする。       (19年4月)
 
 また、桜田尋常小学校・桜田国民学校の『行事挙行届』(昭和6年~18年)を見ると、目的地を神社にすることがふえたり、行軍錬成(れんせい)的なものにしたりして、戦時色が強まっていったことがわかる。たとえば、遠足運動会・明治神宮(6年)、校外教授・二重橋、靖国神社(7年)、歩兵第三聯隊(れんたい)(8年)、明治神宮(10年)、歩兵第一聯隊(11年)、明治天皇聖蹟記念地(12年)、靖国神社(14年)、靖国・二重橋剛健遠足(16年)、乃木神社(16年)、泉岳寺(16年)、明治神宮(17年)、多摩川行軍錬成大会(18年)、その他多数の目的地が記録されている。
 精神教育のひとつとして、「訓話」もよく行われていた。
 
  屋上に神殿が建設され、皇大神宮を奉斎いたしました。只今毎月一日、一五日には学校全員の団体参拝を行ひ、毎週一回各学級予め日を定めて、神前に額(ぬか)づいてその赤誠をいたし、敬神崇祖の行を通して、国民教育の根源を培ふことに努めています。特に学級参拝の場合は、皇祖の神前に於て、御製、御歌を中心とし、又、御聖勅中の国民として最も感銘深い語句等を中心として、各学級その程度に応じて訓話を行ひ、一層精神教育の徹底を期しています。(『氷川学報』 昭和13年)
 
 このような行事に関して、東京市教育局は昭和18年(1943)に『国民学校教科外指導、行事参考資料』を出している。その一部を掲げる。
 (はしがき)
  皇祖の国を肇(はじ)め給ひしこと宏遠にして、国民世々忠孝、一億心を一にして金甌(おう)無欠の国体を護り、諸行事を行って幾世代を経、以て今日に至る。年中行事は実に三千年の長年月に於ける我が民族生活の所産であって我が祖先の日々実践し来った所、随(したが)って年中行事こそは国民精神の宿る所である。吾々は之が実践を通して昔を偲(しの)び祖先の跡を踏みつつ、我が国民精神を体験し国民性を陶冶(や)錬成して、真の日本国民の養成を期さなければならない。……
 (教科外行事指導要項)
  教科外学校行事は、児童心身、発達程度と、其の生活実状とに即し、発展的体制をとりつつ、教科との連係季節等を考慮し教科行事、作業等の一体的運営を企画すると共に国民学校の精神を体得せしめ、且つ決戦態勢下、皇国の国民錬成たらしめるやう、又儀式行事は、其の生活必然性に照し、生活内容が充実せるもののやう、周到なる計画と、準備との下に行ふ事に力(つと)む。
 特に、
 一 国家的行事に於ては、最も厳粛荘重に行ふと共に、皇国に生れたる悦(よろこ)びを感得せしむるやう、その行事の実践を通して、皇国の体験理解を与へると共に、帝都の少国民としては、宮城前に奉拝して、聖寿の万歳を寿(ことほ)ぎ奉り、又明治神宮に参拝して、此の日の感激を更に凝集して報国の至誠を披瀝(ひれき)せしめ、強き国民的体験をなさしむることに力む。
 二 国民的伝統行事に於ては、伝統的意義を現代生活に生かして適切に之を取扱ひ、之を通して国体を明徴にし、不知不識の間に純粋なる民族精神を体験せしめ、且報恩感謝の国民的伝統精神と、興亜精神とを体験せしめ、特に高雅なる国民的情操を涵養し、醇(じゅん)美なる国民性を継承発達せしむるやう心掛けしむるに力む。
 三 学校行事に於ては、行事を通して学校生活の理解を与へると共に、火災、風水害、震災、空襲等非常災害に対する訓練にまで、師弟同行、全校一体化の美風を樹立し、愛校心、愛国心の養成涵養に資するやう力む。
 四 時局的行事に於ては、之を通して時局の認識を与へ、八紘一宇の大理想が着々顕現されつつある今日、東亜共栄圏確立に対し、皇国少国民として、之を翼賛し奉る心構へと、逞(たくま)しき生活態度との錬成への意欲に培ひ、感謝奉公の生活を実践せしむるに力む。特に大東亜建設の大偉業が、かかりて後に続く少国民の心身の強健に俟(ま)つことを自覚せしめ、体位の向上を計り以て国家の重責に任ぜしむるやう力む。
 五 社会的行事に於ては、其の社会教化的の意義を汲み、児童の立場に於て、実践的に之に参加し、社会生活の理解を与へ、思を新にせしめて反省と奮起とを促し、公衆道徳を重んじ、協力一致、滅死奉公の態度を養成するに力む。
 六 家庭生活中に於ける諸行事に於ては、之を通して、学校生活の延長として、家庭に於て児童の個性、能力に応じて家庭学校の一体化の科学的合理的生活の実践修練をなさしむるやうに力む。
 
 同資料は年間の個別的行事について、それぞれ、意義、由来などを説明しているが、その中で、大詔奉戴(ほうたい)日設定については次のように述べている。
 
 「大詔奉戴日設定」
  趣旨 皇国の隆替と東亜の興廃とを決すべき大東亜戦争の展開に伴ひ国民運動の方途また画期的なる一大進展を要請せらるゝを以て、茲(ここ)に宣戦の大詔を渙発あらせられたる日を挙国戦争完遂の源泉たらしむる日と定め曠(こう)古の大業を翼賛するに違算なからんことを期せしめんとす。
  名称 大詔奉戴(たい)日
  日 八日
  実施項目 趣旨に基き大政翼賛会に於て政府と密接なる聯(れん)絡の下に認定す。
  実施 昭和一七年一月より大東亜戦争継続中実施し、大政翼賛会これが運用の中心となるものとする。
 
関連資料:【文書】小学校教育 <参考>戦時下の国民学校年間行事