生活困窮家庭への対応

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 昭和初期の経済不況は、農漁村のみならず、都市部の中商工業者にも影響を与え、児童の食生活にも悪影響をおよぼしてきた。すなわち、生活困窮家庭の児童について健康維持、体力増強にも支障をきたすようになってきた。
 昭和3年(1928)10月4日、文部省は「学齢児童就学奨励規程」の訓令を出し、生活困窮家庭の児童の学校給食実施を決めている。
 昭和7年7月27日、農漁村の欠食児童20万名突破と文部省が発表し、このような事態に対して、東京府としても、昭和7年以降3カ年の継続事業学校給食施設を実施することにした。
 次は、その事業の概要である。
 
   学校給食調査    東京府学務部社会課  昭和七年
    諸論
  近時の経済的不況に伴う欠食児童の発生は、児童の健康状態のみならず、就学困難、引いては由々しき社会問題を誘発する虞(おそれ)を大ならしめた。当局も此の点に留意の上、国庫交付金により、急拠管内要給食児童に対し給食を実施するに至った。而して本府に於ては、諮問機関として学校給食委員会を設置した。
  本府に於ける学校給食は、私設社会事業団体等により実施されていたが、府費や市の就学奨励費等からも支出して給食を実施するようになってきた。給食は、欠食児童だけでなく、貧困による食物不良なる児童も包含(がん)するようになった。
  昭和七年度 東京府社会事業協会は、郡都欠食児童 六〇六二名(延六万六二〇名)に対し給食を実施している。
関連資料:【くらしと教育編】第6章第2節(2) 就学奨励としての給食
関連資料:【くらしと教育編】第6章第2節(2) 給食児童への配慮