昭和5年(1930)3月、芝区の学齢児の就学率は99・5パーセント(男)にのぼっている(『芝区誌』)。次に卒業生の動向はどうなっていたのだろうか。
昭和3年3月、東町尋常(じんじょう)小学校の卒業生の様子は次のようである。
卒業児童数 214名 男子107名 女子107名
及第児童数 209名 男子106名 女子103名
据置(すえおき)児童数 5名 男子 1名 女子 4名
優等児童数 33名 男子 16名 女子 17名
6箇年精勤者 6名 男子 5名 女子 1名
なお、進路に関して、青南尋常小学校の卒業生の様子をみると次のようであり、ほとんどの者が上級学校に進学している(昭和14年『青南学報』19号)[注釈25]。
卒業生の帰趨(すう)と其の後の状況
六ヶ年の国民教育を終り、本年三月末目出度卒業致しました者は、男子一三八名、女子一二五名、計二六三名であります。これ等卒業生の大部分は上級学校に進学致します。本校の特色の一つは実に此(こ)の点にあります。
とあり、「学校選択の基準」を『青南学報』26号に載せている。その見出しは次のようである。知能の程度、体力の考慮、経済状態、将来の方針、職業の選択、本人の希望、学校の調査、職域奉公となっている。
職域奉公の項では
最後に此の頃よく云われる職域奉公ということについて一言しておき度いと思ひますが、御承知の通り現在の日本はあらゆる方面に人材を要求して居ります。どんな仕事でもいゝそれが国家の為にあるならば進んでその必要を満たす。さうして一人〳〵がそれぞれの持場でその最善を尽すといふのが此の職域奉公ということの精神ではないかと思ひます。
と述べている。
関連資料:【くらしと教育編】第11章第1節 (2)戦前から戦後への学校制度の変化