児童の遊び

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 児童の遊びでは、戦時色豊かな「戦争ごっこ」もあり、男子の将来の夢は陸海軍の大将になることであったとはいえ、当時の児童の作文には、古川での魚つり、露店、しゃぼん玉といった遊びのことも書かれている。
 次は、国策に沿った児童の生活(遊び)の作文である。
 
  「鉄くず集め」 桜田国民学校 四年一組 男    (昭和一八年)
  僕はこの間先生から「戦争中君たちは何をしてゐるか」と、いふお話を聞いてから谷口君たちと鉄くずを集めようとさうだんしました。次の日学校から帰ると蕪木君たちをさそひ、鉄くずのたくさんあるところで、みんな夢中で拾ひました。かご一ぱいになったのでとても困ってしまいました。谷口君の近所の人もけんなふしてくださいました。毎日つづけたら、きっとたくさんになると思ひました。二、三日すると、みんながやめてしまひましたが、僕は、これでは、先生のお話を実行しないし、又途中でやめてしまってはいけないと思ひました。僕一人だけでもこれからきっと、つづけやうと決心しました。僕はそれ以来勉強やお手伝ひの間、又道を歩いてゐる時でも注意して少つづつ鉄くずを集めてゐます。そして十二月八日にそれをけん納しようと思ってゐます。
 
 昭和12年(1937)、文部省は『国体の本義』を全国に発送、昭和13年、内務省警保局図書課、児童読物の浄化に着手など統制が強められていく。そして、雑誌、歌なども戦時色が強まり、予科練習生の歌を口ずさむ子供もあり、心情の面から戦争へとかりたてられていったのである。