校舎の増改築は、関東大震災の後急速に進み、被災校の9校は、すべて鉄筋コンクリート構造に改築された。その他の小学校もほとんどが昭和13年(1938)ごろまでには改築が行われている。
この校舎の増改築は、地域の協力なしでは不可能であった。学校後援会・保護者会等地域住民は要望を区当局に申請して行われたが、さらに、改築の場合仮校舎で授業を行うことになり、登下校についても地域の協力が必要であった。
更に、完成後の祝賀会とか、備品の整備についても学校差はあるが、協力の姿がみられる。
次に、地域の協力のようすをみてみよう。
■昭和5年 氷川尋常(じんじょう)小学校校舎竣工
前代未曽有の災害に遇うも、支障なく授業継続し得るは、父兄各位の同情、後援会の尽力、市区当局者の救急処理の宣しきを得たるためである。
と語られている。
類焼見舞金 二百三十三円
市より焼失備品補充費として八千円交付
有志父兄より 理科器機 校旗 ピアノ等寄付
九條家より皇大后使用のピアノ一台
■昭和5年 鞆絵(ともえ)尋常小学校
保護者会によるプールの施設が完成した(縦15メートル、横6メートル、深さ平均0・9メートル)。
関連資料:【図表および統計資料】教育行政 区立小学校増改築等の状況
関連資料:【学校教育関連施設】
関連資料:【くらしと教育編】第5章第1節 (2)大正~昭和戦後初期