学校開設時の協力

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 本区では、昭和初期、竹芝尋常小学校、高輪台尋常小学校、芝浦国民学校の3校が開設されている。
 竹芝尋常小学校(昭和2年)は前身の芝浦尋常小学校の名称を、地域住民の強い要望で竹芝と変更したいきさつがある(前出)。
 
  校名変更の件 認可申請     東京市長 西久保弘道
 大正十五年ヨリ区ニ移管セシ本市芝浦小学校名ヲ左記ノ通変更致度候条御認可相成及申請候也
                                 (昭和二年十月十八日)
    記 東京市竹芝尋常小学校
 
 高輪台尋常小学校(昭和10年)[注釈28]は、台町尋常小学校と高輪尋常小学校が合併して開設されたものであるが、校名について、激しい陳情がくりかえされた(前出)。
 
  市立尋常小学校校数減少並位置指定ニ関スル東京府知事ノ諮問ニ対シ答申ノ件(昭和十年二月二十五日東京市会議決)
 説明 芝区内ニ於ケル臺町、高輪両小学校ハ何レモ腐朽甚シク且学校ニ比シ児童数少キヲ以テ之ヲ合併シテ一校トナスヲ適当ト認メ前記ノ通同意ノ旨答申スルモノトシ本案ヲ提出ス
 
 芝浦国民学校(昭和17年)[注釈29]は、地域の開発と人口増による地域の要望によって開設されている(前出)。
 
  芝浦小学校創立二十周年記念日祝詞 校長重岡勝(昭和三七年二月)
 (前略) 区当局の尽力は勿(もち)論であるが、歴史の浅い土地でありながら地域社会の絶大な協力のもとに生れたわけである。(略) 終戦後南海小学校に間借りすること二年有半。再び芝区当局と地元民各位の犠牲的な奉仕によって一部復興した。地域の方々は戦前戦後と二回本校の為に児童の為に物心両面の援助を惜しまれなかったわけで、肝に銘じて忘れてはならない。(後略)
 
 いずれにしても、地域の協力、はたらきかけが盛んに行われて開校したことが、当時の記録に残っている。
 
関連資料:【文書】教育行政 台町・高輪尋常小学校の統合
関連資料:【学校教育関連施設】