学校統廃合によせる協力[図35]

141 ~ 142 / 477ページ
 本区では、昭和初期、5校が廃校になり、1校が校名変更になっている。廃校は、開設時と逆に、地域住民、卒業生、在校生にとって抵抗が強いものである。しかし、校舎の老朽化、児童数の減少を契機として、社会の変化を読みとり協力されたのである。

[図35] 昭和初期の学校の統廃合(関係校のみ)

 次は、統廃合についての記録の一部である(東京都公文書館資料)[注釈30]。
 
  麻布新堀尋常小学校廃止の件        昭和七年二月二四日
 本月十七日申学第七四四号ヲ以テ御諮問相成候 当区内尋常小学校々数九ヲ八トシ昭和七年三月三十一日限、麻布新堀尋常小学校廃止ノ件、当区会ニ於テ異議ナク原案可決候条別紙議案相添へ答申候也
 
 児童数減少、校舎木造で設備不完全などのため、近くの本村尋常小学校、東町尋常小学校へ児童は移管した。
 
  市立尋常小学校校数減少並位置指定ニ関スル  昭和八年一二月二八日
 東京府知事ノ諮問ニ対シ答申ノ件        東京市会議決
 説明 麻布区内ニ於ケル麻布、麻中両小学校ハ何レモ腐朽甚シク且他校ニ比シ児童数少キヲ以テ之ヲ合併シテ一校トナスヲ適当ト認メ前記ノ通同意ノ旨答申スルモノトシ本案ヲ提出ス
 
 麻布麻中尋常小学校として発足するが、1年で麻布小学校と改称した。この際、地域の協力やはたらきかけがなされた[注釈31]。
 
  赤坂高等小学校廃止の件          昭和九年三月二六日
 本市赤坂高等小学校ハ昭和九年三月三十一日限リ之ヲ廃止スルモノトス
 説明 昭和八年四月本市赤坂区商業学校設置以来該区内ニ於ケル高等小学校入学希望者著シク減少シ且前記高等小学校ニ収容セル児童ハ第二学年ノミニテ本年三月全部卒業スル予定ナルヲ以テ之カ在置ノ必要ヲ認メザルニ依リ廃止スルモノトシ本案ヲ提出ス 東京市長 牛塚虎太郎
 
 赤坂高等小学校の通学区域は青山高等小学校になった。
 
関連資料:【文書】教育行政 麻布区内尋常小学校校数削減
関連資料:【文書】教育行政 麻布・麻中尋常小学校の統合
関連資料:【文書】教育行政 麻布・麻中尋常小学校及び幼稚園の名称変更
関連資料:【学校教育関連施設】