青年学校の義務制によって、工場、各種商店の連合などによる私立の青年学校が増加した(後述)。昭和16年第2次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)し、戦局の拡大とともに青少年の生産活動と教練による国防意識の向上が要請されてきた。
昭和18年には「教育に関する戦時非常措置方策」がとられ、青年学校の教育も戦時体制に移行していく。例えば
工場事業場ニ於テ生産ニ従事スル生徒ニ付テハ教室内ニ於ケル授業ハ極力之ヲ縮減スルト共ニ職場ノ実情ニ即シテ生産ノ増強、戦力ノ増進ニ資スル如ク刷新改善ス
というようになった。そのため、普通学科はほとんど授業を行わず、その時数は職業学科にまわし、実習の名のもとに生産活動に従事することになった。