商業学校から工業学校へ

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 港区地域では、実業補習学校から青年訓練所を経て青年学校に至るまで、商業、工業に重点を置いて教育が進められてきた。青年学校の職業科の内容をみても「商業・工業ノ大要」(普通科)、「商業工業ニ関スル須要ナル事項」(本科)とあり、そのことがよくわかる。
 更に、商業学校規程による商業学校(実業学校)も設立された。
 次は、東京市赤坂商業学校についての記録の一部である[注釈2]。
 
  (一)設立要旨  (『中之町学報』 第七号)
  近代教育思潮の帰趨(すう)は生活原理に立脚した自由文化への創設を強調するものである。従来の高等小学校は法制的立場からして時世の進運に伴って実社会の要求に応ずる職業的素養を与へることは極めて困難である。
  ここに本校は商業学校を設立し、実際的なる商業知識の修得と人格陶冶に併せて常識の涵養を旨とする所謂堅実なる中堅人物の養成を図らんとするものである。
  (二)教育方針
 (1) 世界の大勢を理解し、健全なる国家観念を体して帝都市民たる自覚を意識し勤倹力行、克(よ)く自立自営の精神を発揚することが出来るやうに努める。(略)
  (三)実際教育
  本校教育の実際は、「明朗、勤勉、服従」を信条といたします。
 イ 学科
   普通学科 修身、公民、国語、数学、地理、国史、英語、体操、音楽、家事裁縫(女子)
   実業学科 商事要項、商業簿記、商品大意、商業実践、商業作文
   作業学科 タイプライテング、工業図案、商業実践、其他は課外指導による。
 ロ 設備
   タイプライター二六、ショウウインドー一、ショーケース一、レジスター一、自習用電話一、謄写版五、自転車五台、商品見本、商店用具一、等
 
 このように、内容、施設が整えられて昭和8年(1933)発足している。商業学校は、その教育内容に特色があり、そのために近くの高等小学校への進学者の減少をもたらすほどの隆盛をみたのである。
 次に東京赤坂商業学校卒業生の就職の様子をみてみよう。
 
  「東京市赤坂商業学校男子部卒業生一覧表」 (昭和15年4月)
 資生堂東京販売株式会社     合資会社森岡商店金物部
 千代田航空精機株式会社     株式会社伊勢丹
 東部軍司令部          近藤商会
 株式会社高島屋         富岡商店
 丸善株式会社          菊屋食料品店
 
  「東京市赤坂商業学校女子部卒業生一覧表」 (昭和14年4月)
 東京都市逓信局         丸善株式会社
 三菱商事株式会社        昭和銀行
 簡易保険局           共販石油株式会社
 日本ビューム管株式会社     日本教育図書株式会社
 赤坂区商工信用組合       千代田航空精
 航空本部            堤商事株式会社
 貯金局             株式会社ノー
 台湾合同鳳梨東京出張所     日本曹達株式会社
 昭和銀行            日本航空株式会社
 三四石炭株式会社        千代田火災保険株式会社
 
 しかし、戦時体制の強化とともに、工業教育の重視が叫ばれ、商業学校の工業学校への転換、併合が、昭和18年の「教育ニ関スル戦時非常措置方策」によってあいついだ。たとえば、慶応義塾の商業学校の閉校と工業学校の新設があった。また、青山高等国民学校においても、商業科を廃して工業科を置く措置がとられた (昭和19年)。こうして、工業力を増強するために工業学校が重視されていったのである。
 
関連資料:【文書】中学校教育 東京市芝高等家政女学校
関連資料:【文書】中学校教育 東京市赤坂商業学校