工業生産の重視

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 戦争の長期化にともない物資の不足が深刻になってきて、工業生産の増強が要請されてきた。特に、軍需産業の強化は、決戦体制下最優先となった。そして、産業報国とか、産業戦士とも呼ばれて、学徒も工場へ動員されていった。
 港区地域においても、芝浦岸壁、汐留駅、沖電気、日本綱管、安藤電気、日本光学、浅野航器、三井精機、藤倉ゴム、東芝などに学徒動員が行われた(『港区史』)。
 昭和20年3月18日、決戦教育措置要項を閣議決定し、全学徒を食糧増産、軍需増産、防空防衛に動員し、その目的のため、国民学校初等科を除き、学校における授業は昭和20年4月1日より、昭和21年3月31日に至る期間原則として之を停止したのである。