大正末期から昭和初期にかけての経済不況、労働争議、教員の俸給不払、更には、西欧の民主主義、ロシア革命などにより、国民の思想は混乱し、思想の左翼化が問題になってきた。そこで政府は、皇国思想によって、思想を統制するようになってきた。
当時の思想統制に関連したことがらを列記すると次のようである。
昭和元年(1926) 文部省、学生の社会科学研究禁止を通達
昭和2年(1927) 「兵役法」を公布、「徴兵令」を廃止
昭和3年(1928) 文部省、「思想問題ニ関スル件」訓令
文部省に学生課(思想問題に対処)
昭和4年(1929) 文部省、学生課を「学生部」に昇格
文部省、教化総動員につき訓令
昭和6年(1931) 文部省、小学校教員思想対策協議会開催
昭和7年(1932) 文部省、思想講習会を各地に開く。
昭和8年(1933) 長野県で赤化教員一斉検挙開始
昭和9年(1934) 全国小学校教員精神作興大会(皇居前広場)
昭和10年(1935) 文部省、学生部を「思想局」に昇格[注釈1]
昭和12年(1937) 文部省、「国体の本義」全国学校に配布
文部省、思想局を廃し「教学局」を設置
昭和13年(1938) 「国家総動員法」公布
文部省、大学教授の責務、国体の本義の教学一体精神を説く。
昭和16年(1941) 「言論、出版、集会、結社等臨時取締法」
昭和18年(1943) 「戦時国民思想確立ニ関スル基本方策要綱」を閣議決定
教職員の思想統制は、「皇国民の錬成(れんせい)」にとって欠くことのできないため戦争完遂に向けて、さまざまな統制が加えられ、授業時の一言一句にわたっても、厳しく批正され、国策にそった教育が進められていった。