昭和期の保育所は、大正期に引きつづいて発達し、保育所も増加していった[図10]。
このように、保育所が増加してきたのは、保育所が貧困の家庭の幼児を預るというだけでなく、勤労婦人の幼児を預ることによって助け、生産を増強するという考えになってきたためである。
港区地域の昭和初期の保育所は次のようであった。
東京市白金三光町(さんこうちょう)方面館乳幼児保育部は昭和5年3月15日に、白金三光町27に設立され、乳幼児の保育を行い、要保護者の救済施設の面もかねていた。生後6カ月以上学齢期までの幼児の保育に当たっていた。
昼間保育 四月~十月 五時~十八時
十一月~三月 六時~十八時
保母若干名 嘱託医一名
保 育 料 一人一日二銭
毎 月 一・三日曜日、一月一・二・三日休み
芝浦保育園は、昭和10年に設立されたがこれは、水上生活者児童保育の目的で設立された。
[図10] 昭和期の保育所の増加