肢体不自由児童の教育

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 「学制」公布後、児童の就学率は上昇してきたが肢体不自由児童の教育はとり残されてきた。
 肢体不自由児童の教育について、大正7年(1918)東京帝国大学医学部整形外科教室教授 高木憲次は、肢体不自由児が治療をしながら教育を受けることのできる「夢の楽園教療所」の設置を初めて提唱した。彼は、その後ドイツに留学し、クリュッベルハイム(肢体不自由児療育施設)を実地に見学してから、自分の考えに一層自信を深めた。
 一方、体操教師であった柏倉松蔵は体操ができない肢体不自由児のため大正10年5月に私財を投じて柏学園を東京市小石川区に開き、彼らを収容して医療と教育を行った。これが我が国における最初の肢体不自由児のための施設であるといわれる(『日本の障害児の学校』)。
 その後、昭和5年(1930)東京市教育局長 藤井利誉が米国の教育事情を視察して、肢体不自由児教育に感銘し、帰国後、肢体不自由児のための学校設置を立案した。そして、東京市会に上程したがその年は否決された。昭和6年市教育局は、市内15区の学齢児を調査して、1200名の肢体不自由児の3分の1が未就学児であることを見出した。昭和7年3月の市会で肢体不自由児学校の設立を認め、「光明学校」が開設されるのである。