我が国最初の弱視学級

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 昭和8年(1933)12月11日、麻布区南山尋常(じんじょう)小学校(東京市麻布区宮村町67)に開設された弱視学級は、我が国最初の画期的なものであった。
 昭和8年の開設時は、3年、4年を合わせて7名の複式学級であった昭和15年には、名称変更が承認され、従来の弱視学級は「視力保存学級」と改称された。
 昭和19年、弱視児童は縁故疎開を行うことになり、児童数は減少していった。昭和20年には、学童集団疎開により、全児童を疎開させることになり、南山国民学校の授業は休止され、視力保存学級も閉級されることになった。戦後も閉級のままで、再開されなかった。
 [図7]はこの弱視学級(視力保存学級)の児童数の移り変わりである。

[図7] 視力保存学級在籍児童一覧(年度末)