中等諸学校

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 港区地域内の府・市立の中等諸学校としては、数は少ないが次のような学校があった。
 
■東京府立第六高等女学校[図1] [注釈1]
 芝区赤羽町1番地に大正12年(1923)に創立した。修業年限5カ年。学級数25、定員1200人。補習科があった。大正13年、現在地(港区三田1―4―46)に校舎を建築した女子校であったが、昭和25年(1950)より男女共学。東京都立三田高等学校となる。

[図1] 東京府立第六高等女学校(『東京府史』東京都公文書館所蔵)

 
■東京府立第三高等女学校[図2] [注釈2]
 麻布区北日ケ窪37に明治34年(1901)創立した。大正10年(1921)高等科(現在短大相当)を設置した。昭和8年(1933)皇后陸下の旧学問所が御下賜(かし)になり、「仰光寮」として現存している。
 昭和21年現在の駒場に移転する。女子校は25年より男女共学東京都立駒場高等学校となった。

[図2] 東京府立第三高等女学校(『東京府史』東京都公文書館所蔵)

 
■東京府立第二十二中学校[注釈3]
 麻布区宮村町69に昭和17年創立した。
昭和18年東京都立城南中学校と改称した。男子校である。昭和23年東京都立城南高等学校と改称し、男女共学となった。
 赤坂区青山北町5丁目にあった青山師範(しはん)学校が昭和11年4月に世田谷区に移転した際、幾つかの府立中等学校が臨時仮校舎をその跡地に置いたが、後それぞれに適当の地に本建築ができると移転していった[注釈4]。
 
    学校名        開校      修業年限
 東京府立千歳中学校    (昭和14年4月) 5カ年 昭和16年、世田谷区へ
 東京府立第十中学校    (昭和12年4月) 5カ年 昭和14年4月、杉並区へ
 東京府立第十四中学校   (昭和15年4月) 5カ年 昭和16年、石神井中学校と改称。練馬区へ
 東京府立第十五中学校   (昭和15年4月) 5カ年 昭和17年、東京市立多摩中学校と統合
 東京府立第十二高等女学校 (昭和14年4月) 5カ年 昭和15年に板橋区へ移転、昭和16年に東京府立北野高等女学校と校名変更
 
関連資料:【文書】中学校教育 東京府立第六高等女学校
関連資料:【文書】中学校教育 府立第六高等女学校の教育課程の変遷
関連資料:【文書】中学校教育 東京府立第三高等女学校
関連資料:【文書】中学校教育 府立第十高等女学校位置変更
関連資料:【文書】中学校教育 府立第二十二中学校創立当時の思い出
関連資料:【学校教育関連施設】国立・都立・私立学校概要一覧