勤労動員の強化

261 ~ 261 / 477ページ
 昭和19年11月、第2学年の生徒も勤労動員された。最初2年生中100人を、芝区西芝浦4ノ1沖電気芝浦製造所に、50人を安藤電気株式会社に動員という命令があった。その後、安藤電気は辞退したため、この50人は荏原区洗足の中央光学精機株式会社に配置転換された。
 安藤電気株式会社は、昭和20年4月15日に全焼し、中央光学精機株式会社も同年5月23日に全焼し、更に沖電気株式会社芝浦製造所も同5月25日に全焼し、動員は中止になり、学校に引き揚げることになった。
 昭和20年4月16日に鳥居坂警察署は空襲で焼失したので、本校内に移転して来ていた。同年5月には東京師団管区司令部の兵務部が校舎の一部を使用していた。この校内の兵務部へ7月1日から2年生、3年生、4年生の計103名が動員された[注釈10]。
 当時の生徒の回想には、
 
 或時には、芝の増上寺に行って、境内の防空壕の中にぎっしり詰っている遺品の箱の上書きを見て、名簿にチェックする仕事に一日費したこともあった。上書きには、サイパン島で戦死とか、ガダルカナル島で、というような記録が名前の横に記されていた。
 
という文章も見られる(「女学科の記録(4)」)。