青年団

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 白金猿町青年団(芝区青年団に所属)の創立当初に団員として活躍した白金台在住の田中清氏は当時の様子を次のように語っている。
 
  あれは大正時代も末のことであったと思いますが、町内の有志の人たちの間で、青年団を作ろうという話しがでました。私たちの町内は商店が多く、店の手伝いをしている者や住込みの店員が多かったのですが、そういう人たちの不良化防止のため、集まりを持ってはどうかということで始めたわけです。

[図1] 白金猿町青年団

  写真[図1]は発団式の時のものですがうしろの建物は頌栄(しょうえい)学院の旧講堂です。ボーイスカウトに似た団服をそろえました。
  活動は主に夜と休日に行いましたが、町内の仕事やレクリエーションの外、連合会の行事にもよく出席しました。芝公園に青年会館が作られました。(中略)
  団員の資格は小学校卒業以上で兵隊検査まででした。夜学や中学の人の参加はなかった。
 
 大正時代における青年団は、その前身である青年会の性格を残存し、親睦(しんぼく)団体としての色彩を色濃く残すものであった。しかしその後、自主的な活動は次第に影をひそめ、国策に沿った訓練の場としての性格を強めていったのである。
 芝区青年団の規約を見ると、その変質ぶりは明らかであり、分団に対する統制力の強さがわかる[注釈3]。
 
    第一章 総則
 第一条 本団ハ芝区居住ノ青年ヲ糾(キュウ)合シ本市聯合青年団綱領ノ趣旨ヲ体シ其知徳ノ修養、身体ノ鍛練ヲ図ルヲ目的トス
    第三章 事業
 第六条 本団ハ本区内各分団ノ事業ヲ援助又ハ指導シ相互ノ連絡ヲ図リ聯合事業ヲ主催ス
    各分団ノ事業概ネ左ノ如シ
   一 三大節ニ於テ遥拝式ノ挙行
   二 実際生活ニ適切ナル普通学科又ハ実業学科ノ補習教育
   三 道徳又ハ職業等ニ関スル講習並ニ講演会ノ開催
   四 簡易図書館又ハ巡回文庫ノ設置
   五 体操、撃剣、柔道、水泳其他各種ノ競技運動ノ練習
   六 社会的公共的施設特ニ愛市的事業ノ援助協力
 
 また、その具体的な活動を桜田青年団(芝区青年団に所属)に見れば次のとおりである。
 
  男子青年団は多年の懸案でありました月次修養会を開始致しましてから団員の結束と活動とが組織化され、自己修養に社会奉仕に何れも団員会議の内に益々其の発展を続けて居ります。今や国民更生の声高き秋に際し皇国中堅の責務を両肩に担ひ、帝都市民の動脈となって強く正しく伸展しつゝある吾が桜田分団の将来や期して待つ可きもの多い事と信じます。
 今日迄に活動せる状況は左の通り。
 昭和六、四、七   シャム国両陛下奉迎の出席  三十名
           同夜 提灯行列参加  三十名
 同   四、三   東京市聯合青年団出席  二名
 同   五、二八  芝区青年団出席  五名
 同   九、六   令旨御下賜十周年式  八名
 同   九、二   第九回陸上大会  二名
 同  一〇、七   視察旅行(高尾山)  二十五名
 同 七、二、一三  満州出征軍慰問金募集  八名
 同 七、五、一七  東京府青年団聯合大会出席  二名
 同 七、五、二七  東京市青年団柔剣道大会出席  三名
 同 七、九、二〇  国民更生運動大講演会出席  二十名
 
 なお、本区の青年団数の推移は[図2]のようであるが、昭和の年代に入ってから急激に増加していることがわかる。すべての青年をなんらかの形で組織しようとした表われであり、青年学校と相補完し合う形で青年団が重視されたのである。

[図2] 青年団分団数の推移