建物の強制疎開

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 東京都の建物疎開については、「防空法」を適用し、まず内務大臣が一定の区域を指定すると、都長官がその区域中の建築物所有者に対して、期日を指定して取払い命令を発していた。そして密集していた建築物を一定区域から適当に疎開して都の防空都市化に寄与するものであった。概略は次のようである。
 
 (1) 防火帯(疎開空地帯)造成事業 50メートルないし100メートル広幅員の防火帯により、市街地を区切って帝都防護の徹底を期するとある。こうして、東京都において当年度施行の防火帯は、合計4本、疎開戸数は約150戸であった。
 (2) 重要工場附近疎開事業 戦争遂行上、重要工場の防護徹底を期するため、その附近50メートル範囲内にある住宅その他の建物を疎開し、之を除去その跡地は植樹、貯水池、待避壕(ごう)等の防空施設をなすものである。
 (3) 主要駅附近疎開事業 交通運輸の混雑を緩和し併せて産業能率の増進を図り空襲時における混乱を防止するため、主要駅附近の建築物を疎開させ、跡地は広場及び道路として利用するものである。
 
 区内にも上述の建物の強制疎開の事業に該当するものが多くあった。新橋駅周辺、桜田国民学校の周囲もその対象となった。その人々は100名に及んだ。戦後、その跡地が青空マーケット、闇(やみ)市場ともいわれた場所になった。
 建物疎開の施行方法は、急を要する重要施策であったため、跡地は、都が買収したり補償したりした。居住者に対しては、地方移住を奨励・移転費を補償し、学童の転校、物資の配給等の便宜を与えた。