戦災の深刻化と縁故疎開の奨励

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 本土空襲により戦災も深刻化してきた。戦時非常措置が教育行政にも次のように順次実施されていった。
 
 昭和18年 大都市人口疎開の勧奨・老幼者の縁故疎開のすすめ。
    1「人口疎開に伴なう生徒児童の取扱い措置要項」
    2(指示)中等学校以下の生徒児童の転入学の便宜をはかる。
    3 都区の近県諸在の養護施設利用の「戦時疎開学園」の開設
 昭和19年(3月) 東京都独自の集団疎開計画を立てる。関東、東北地方に受入れ要請、学校・集会場・教会・寺院・旅館・別荘等疎開学寮として借りる。
 
 昭和19年(1944)6月になると「学童疎開促進要綱」を閣議決定、「帝都学童集団疎開実施要領」が定められる。その要点は次のとおりである。
 
 第一 集団疎開セシムベキ学童ノ範囲 初等科三年以上六年迄ノ児童
 第二 疎開先 関東地方(神奈川県ヲ除ク)及其ノ近接県トス[図5]
 第三 疎開先ノ宿舎 余裕アル旅館、集会所、寺院、教会所、錬成所、別荘等都ノ教職員モ学童ト共ニ共同生活ヲ行フモノトス
 第四 疎開先ノ教育 疎開先国民学校又ハ宿舎等ニ於テ之ヲ行フモノトス宿舎ニ於ケル学童ノ生活指導ハ都ノ教職員之ニ当ルモノトス
 第五 物資ノ配給、疎開先ニ於ケル食糧、燃料其ノ他ノ生活必需物資ニ付テハ農商省其ノ他関係者ニ於テ所要量ヲ用途ヲ指定シ特別ニ配給ヲ為ス
 第七 経費ノ負担、保護者ニ於テ疎開生活者ノ一部トシテ月十円ヲ負担スル

[図5] 帝都学童集団疎開先県名各区割当表

 昭和19年7月には「安心して学童を都に託せ、学童疎開は焦眉の急務」と16日都長官大達茂雄より都民の父兄によびかけが行われた。
 また、35区の全国民学校長を都立養成館講堂に集めて、東京都の国民学校児童を集団疎開させる方針の説明が行われた。
 
   「東京都長官 大達茂雄の訓示」 昭和一九年七月一六日
  この学童の集団疎開は、我国に於ては、末だ曽って例を見ざる教育的措置でありまして、これが実施に当っては、慎重なる考慮と周到なる計画準備とを以て行わなければなりません。しかしながら戦時下に於ては、如何(いか)なる名案と雖(いえど)も時機を失したのでは何の用にも立ちません。(中略)
  疎開先に派遣せらるる教職員は、相当長期に亘り、遠隔の地に出向き、学童の教育に専念致すのでありまして、比の点全く名誉の応召者と同様の決意と矜持(きょうじ)とを以て服務するのでなければ、疎開先の教育即ち集団疎開教育は成立致しません。教育者諸君は、平素包蔵する気魄(はく)と造詣(けい)とを、この際、遺憾なく発揮すべきであると存じます。又疎開先の学童の教育如何(いかん)は、直に帝都に在る父兄の心情に関係し、それはやがて帝都の戦力や生産力の増強に影響する (後略)
 
関連資料:【文書】小学校教育 赤坂区戦時疎開学園
関連資料:【文書】小学校教育 芝区戦時疎開学園
関連資料:【文書】小学校教育 集団疎開受け入れ協力
関連資料:【学校教育関連施設】