疎開地での生活

352 ~ 353 / 477ページ
 父母のもとを離れて、疎開地での児童の生活の様子は、当時の学寮日誌や児童の作文、手紙などより知ることができる[注釈7]。例えば疎開第1日目の様子を芝浦国民学校の集団疎開日誌は次のように記している。
 
 昭和一九年八月三一日(木) 晴  一八五名
   職員(四)寮母(八)作業員(六)
   3(三四) 4(三三) 5(四一) 6(五九) 計 一六二名
 (一)病気ノタメ遅参スル児童枡谷幸夫(五ノ一)中森清子(五ノ二)ノ二名
 (二)午前七時半出発式校庭  *八時三六分田町駅発 *九時四〇分上野発 *午後三時半塩原町畑下戸
    せい清琴楼前到着
    1 塩原国民学校児童並ニ畑下婦人会員途中出迎フ。
    2 塩原国民学校児童ト芝浦国民学校児童トノ対面式。
 (三)引率者  学校長 富樫 須磨 木島 田中 喜入 古川・青井(補助)
 (四)寮母   平井 金子 池沢 滝沢(節) 滝沢(東京) 関谷 根本
 (五)本日ノ行事 1 荷ホドキ―栃木県健民修練所青年十名 (現地)予メ大体ホドキ置ク依ツテ児童更ニ荷ホドキ且ツ整理ス 2 入浴 3 就寝―九時
     九月一日(金) 晴    一八五名
  午前中荷物整理 朝礼後八幡神社参拝 午後八幡神社参拝
  夜清琴楼主人塩原郷土誌ニツキ講義ス
     九月二日(土) 晴    一八五名
  午前中荷物整理 午後塩ノ湯 小太郎ケ淵 兄弟ノ滝等見学ス
   平田(喘息)佐野(盲腸ノ疑アリ)養老院係女医ノ下ニ佐野ヲ連レ行キ診察ヲ乞ヒナホ真偽ヲ確ムルタメ療養所ニ平田佐野ヲ連レ行キテ診察ノ結果何レモ慢性ニシテ軽症ナルコト明カトナル
  夜 職員会 *班組織改組 男一一班 女九班 計二〇班
        *各班受持 一階―須磨 二階―富樫 三階―田中・木島
 
関連資料:【学校教育関連施設】
関連資料:【くらしと教育編】第10章第1節 (2)集団疎開先でのくらし