空襲時の災害[図56]

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 南山国民学校保存の疎開記録の中に、空襲警報についての記録がある。佐野方面で最初の警戒警報が発令されたのは昭和19年9月19日であった。11月に入ると空襲警報が頻々(ひんぴん)と発令されはじめた。警報は3日おきぐらいに終戦まで続いた。20年2月には太田方面へ頭上を90機の爆撃機が通った。また6年生帰還の壮行式の日には佐野上空に艦載機100機以上も来て低空飛行をしておどかされた。佐野市事務報告によると、佐野駅前の丹波屋寮の疎開児童が7月26日に他の学寮に分散している。敵機の空襲に備えて駅前の商店街が強制疎開をしたため、終戦の日が半月後に迫っていることも知らずに他の学寮に再疎開をしたものである。

[図56] 通学の服装

  夜間空襲の退避(筓小学校六十周年記念誌『筓』大河内訓導の手記)
  何よりも困ったことは、夜空襲があると小さな一年生から身ごしらえをして、二階の暗い狭い階段をおり、寺の庭に村長さんが堀らしてくださった大きな防空壕へ避離するのですが、大低は寺の一家が先に荷物と一しよに入っていて、私どもは仕方なく近くの渡良瀬川の河原まで逃げなければなりませんでした。何しろ暗い夜道のこととて、一、二年生は途中で泣き出してしまうのを寮母と一諸に手をひいたり、おんぶしたりで漸く河原に着けば、川向うの太田、小泉の飛行機工場が空襲をうけて空が真赤になる。爆音はすさまじい。真赤な焔が川面にうつり、めらめらと流れる火の河、それですっかりおびえた子どもたちが、「こわいよー」と一せいに泣き出す始末。(後略)
 
 麻布区長より栃木県内政部長及び東京都出張所宛に足利市内にある東町の2学寮の再疎開について諒承方を願い出ている。再疎開についての報告文書を次に掲げる。
 
   昭和二十年七月二十一日
     東京都東町国民学校長 堀   恒
  東京都麻布区長赤羽幾一殿
  学童集団疎開学寮再疎開ニ関スル件
 本校学童集団疎開学寮中 足利学寮(足利市大町善徳寺内)助戸学寮(足利市助戸一丁目龍泉寺内)ノ二学寮ハ市街地ニ在リ戦局ノ推移ニ依リ位置不適当ト存セラレ候間別表[図57]ノ如ク他既設学寮収容致シ度此般可然哉及御伺候也
 
 経費予算
 荷車代一五〇〇円 馬車一台五〇円ノ三〇台分
 棚子移動費 三〇〇円 整理戸棚等ノ取外移転
 雑 費 一〇〇円 梱包材料等

[図57] 「学童集団疎開学寮再疎開ニ関スル件」別表

 赤坂区の各学校は、東京都下北多摩・南多摩郡に疎開したため、空襲の被害も直接受け、学童の命を守るのに関係者は大変苦しんだ様子がわかる資料がある。
 赤坂国民学校の「学寮附近空爆被害状況(4月7日現在)によると、
 
 禅昌寺 四月二日、四日 被害無キモ非常ニ危険ヲ感ジタリ
 真福寺 四月二日 被害無キモ危険感甚ダシ
     四月四日 被害無キモ恐怖セシメラレタリ、附近田畑地不発弾三個及敵弾弾片大形ナルモノ多数落下甚危険ナリ
 蓮花寺 四月二日被害無シ村内焼夷弾一個高射砲弾多数落下負傷者若干アリ
     四月四日 被害無シ
     四月一七日 敵艦上機多数来襲、日立航空工場ヲ繰返シ急降下爆撃損害多大ナリ、此ノ際敵機一機学寮ヨリ百米民家屋内ニ墜落ス、昼間、児童ハコノ状況ヲ目撃シタルニヨリ大ナル衝撃ヲ受ケタリ
 正福寺 二日、四日被害無シ
 
 長円寺・梅岩寺の状況については、次の資料のように日に日に熾烈(しれつ)なる戦局の悪化に備えて、再疎開についても、候補地等の実地調査、要請もあったが、現在地に踏み止まった。学童の家も焼かれるという悲運に会うこともあり得ることが次第に明らかとなっていった。
 
 昭和二十年四月五日
                村山村長円寺学寮長 藤本光美
 赤坂国民学校長会沢名作殿
  空襲災害状況報告(第二回目)
 標記ノ件左記ノ通り簡単ニ御報告申上マス
    記
 一日時 四月午前〇時半頃より三時半頃マデ
 一状況 二日災害を受ケタル所ト殆ンド同ジ場所ノ前ヨリ広ク爆撃セラル
     長円寺モ爆風ヲ受ケ破損甚ダシク再興ノ見込立タズ住職始メ家族一同西多摩親戚寺院へ疎開スルコトトナリタリ
    周囲人家二十軒程破壊セラレ、死者数名、傷者数名アリ
     当夜ノ模様真福寺ニ防空壕ノ使用効果アルモノナク、周囲山地ニマデ時限爆弾投下セラレ機銃掃射アリ、照明弾多数投下、真昼ノ如ク、学童身動キスルコトモ出来ズ、全ク処置ナク六十有余人生命ヲ預カリ言語ニ絶スル苦シミヲセリ
    幸全員無事
 昭和二十年四月九日 赤坂区赤坂国民学校長 会沢庄作
   都・教育局長 区長段
   標記ノ件左記ノ通リ御報告及候也
    記
   被害状況
  一 学寮 東村山町 梅岩寺
  二 日時 昭和二十年四月二日 午前三時頃
  三 箇所並程度 本堂一部(西南隅)土台下り壁落チ軒及窓ガラス少々破損建具動ズ学童其他何等異状ナシ
  四 原因 B29来襲、瞬発二個(一〇〇瓩程度)軒先ニ斜ニ落下、方向本堂ト並行、爆発セルニ因ル
  五 附近ノ状況 境内ニ計五個 町内ニテハ約二〇〇個トイフ、大体瞬発性、死者、負傷者共ニ数名、民家半壊程度数戸外ニB29墜落ニ因ル火災アリタル由
 
関連資料:【文書】教職員 赤坂小学校学童集団疎開の状況
関連資料:【くらしと教育編】第10章第1節 (4)空襲の恐怖、被害、再疎開