学童集団疎開ハ之ヲ打切ルべキ筈(ハズ)ノ処一般人員疎開者ノ都内復帰ヲ為(ナ)サシメザルコトゝ相成タル次第モ有之、且本都ニ直ニ多数学童ヲ迎ヘルコトハ都内ニ於ケル校舎住宅食糧等受入各班ノ現状ヨリシテ適切ナラザル様被思料候ニ付……尚暫(ナオシバラ)ク現地ニ於テ教育ヲ継続セシムルコト……
という依頼を関係県知事宛に出している(20年8月21日 教国発第四六四号)。
10月16日付で、東京都教育局長より「疎開学童復帰計画要項」が出された。
一 疎開学童ハ概ネ昭和二一年三月迄現在ノ儘(ママ)疎開ヲ継続スルモノトス戦災遺児其ノ他戦災ニ依リ家庭ニ引キ取リ難キモノハ別途之ヲ収容。
一 父兄ガ引取ヲ希望スル場合学校長認メタル者ニ限ル
(都内ノ農村地帯、温泉地其ノ他食糧事情不良ノ地域、越冬困難)
一 前項ノ学童ノ復帰ニ付テハ十月中旬ヨリ一一月末迄ニ計画輸送ヲ行ウ。
東京都は、戦災の被害、食糧不足、住居の問題などから現段階での学童の復帰はむずかしいと判断をしたのである。この計画要項に引き続き昭和20年10月19日 芝区長より国民学校長宛に「疎開引上学童取扱ニ関スル件」が出された。
終戦ニ伴ヒ本都国民学校集団疎開児童ハ逐次引上ゲヲ開始スルコトト相成タルモ該児童一般健康状態ハ食糧ノ不足其他ニ因リ心身共ニ疲労ニ陥リタルモノ尠カラザルニ付是等児童引上後ノ訓育ニ関シテハ当分養護ヲ第一トシ専ラ疲労回復ノ徹底ヲ期スルタメ左記注意事項励行方児童養護ニ遺憾ナキヲ期セラレ度(取扱注意事項省略)
これに対して麻布区長より都教育局長に宛てて疎開学童の受入準備に関する資料を提出している。
一 集団及び縁故疎開学童ノ受入見込 合計三三三〇名 職員一〇〇名
(集団、一二〇〇名 縁故、一五〇〇名、残留 六三〇名)
二 右ニ対スル学校々舎其ノ他教育施設ノ準備計画
七校ノ内焼失分三校ヲ四校ニ併設、一校当リ約八三〇人
教室数 麻布 一六(三河台、飯倉)外ニ三階一〇室ヲ麻布工業
南山 二七(東町)筓 二五、本村 二〇計 八八
三 修理ヲ要スべキ校舎ノ概況予算 省略
四 教員宿泊施設ニ対スル計画
帰還後住宅ナキモノハ八〇名、之ガ住宅並ニ合宿所ノ確保困難ナリ
学校内ニ宿泊サスニモ一校当リ二〇名ニテハ宿泊設備ナシ
五 教員ノ過不足ノ見込
復員ヲ予定者ヲ含ム一六五名、多少ノ過剰ノ見込ナリ 四校舎一校当四〇人
学童数二〇人ニ対シ一人ノ割合ナリ
帰校時の様子について 神応(しんのう)国民学校の場合は左のように記している。
九月三〇日芝区役所及び区役所栃木出張所より「一〇月一五日までに帰京せよ」との指令に接し、本校と連絡打合せを行い、父兄会の開催、事情報告、協力の要請、その後、緊急職員会で一〇月一一日帰京することに決定した。本校より一〇月六日奉仕会長以下父兄六名、荷物整理応援のため来舎し、五六二個の荷造りを行う。八日には部落有力者二五人を招待、物資不足の当時としては稀(まれ)に見る大規模な謝恩会を開くと共に十日児童・職員・寮母等合同の送別会を挙行、一年三月にわたる児童集団疎開に終止符をうつ、百三九名の全児童東京帰還のため退舎式を第一学寮前広場(一〇月一一日)にて午前一〇時より行った。
終了後は思い出深い川治を後にバスに分乗、地元国民学校児童、部落有志多数の見送りを受け乍(なが)ら一一時三〇分、新藤原駅を出発し、今市経由午後五時四六分上野駅着の列車にて帰京、焼跡校地で直ちに解散式を挙行、各児童を出迎えの父兄に無事引き渡し急に肩の重荷をおろす。
翌日より、本校残留児童と共に三光国民学校仮校舎にて授業を開始する。児童数約四百人位
各学校の復帰計画実施は、疎開地の事情、児童の受入状態などにより、場所によっては、翌21年の2月3月ごろまで続いた所もある。
芝浦国民学校では11月25日(日)午前9時53分東北線野崎駅発同日午後1時30分上野着、同日午後3時頃田町駅着の予定、復帰人員児童12名、職員5名、残留職員(残務整理のため)、教頭であった。
なお、麻布国民学校長より20年11月14日付で麻布区長に次のような報告が出されている。
学寮整理ニ関スル報告
今般第一次学童家庭復帰ニ伴ヒ左記ノ通学寮整理致シ候ニ付此段及報告候也
記
整理学寮 一一月四日閉鎖 栃木県下都賀郡富山第一学寮(大中寺)
一一月五日閉鎖 大宮第二学寮(光永寺)大宮第一学寮(如意輪寺)皆川第一学寮(持明院)皆川第二学寮(照光寺)寺尾学寮(草蔵寺)
存続学寮 栃木県下都賀郡 清水寺学寮、高平寺学寮(三月六日復帰)
芝国民学校も、20年10月25日第1次163名にはじまり、翌21年3月6日の35名をもって完了したと百周年記念誌にある。
[図64]は、復帰予定輸送計画の旧芝区、麻布区のものである[注釈15]。
[図64] 復帰予定輸送計画(昭和20年10月18日~10月26日完了)
関連資料:【学校教育関連施設】
関連資料:【くらしと教育編】第10章第1節 (5)終戦とその後